統合失調症は家族の虐待×世間の虐待×国家=法の虐待+αで発生する🙀

20世紀の 1930年代になってパプアニューギニアの高地人は初めて西洋人によって「発見」され、 世界で最も未開の部族 統合失調症が存在しない地域として知られていたが西洋文明が流入する事によって「港湾」を中心に統合失調症がボチボチと発生する様になったと言う

 

その原因は西洋的・キリスト教的時間概念が流入したからだと言われている、西暦的時間概念は国家と世間の「中間」に位置すると思われる

 

 

日本語の崩壊と吉野家

この処、日本語の崩壊が止めど無い状態になっている、その一例が吉野家の「企画本部長が(早稲田大学の)師として登壇した講座の若い女性をターゲットにしたマーケティング施策を「生娘をシャブ漬け戦略」と表現し、「田舎から出てきた右も左も分からない女の子を無

 

垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対食べない」と説明していたという。」(Business Insider Japan)と言う事象で有る、

 

ここで何がこの事態の本質かと言うと本部長がある種の差別用語とも言える言葉を使用した「そのもの」よりこの「反社」が使用すると言われる「用語」を刑事ドラマ、映画の中で役者が発したのではなく大学の正式の講座の中で発してしまった点にあると思う、言葉は必ずTPO

 

(time時・place場所・occasion場合)が存在し、それが破られる事は言葉(=日本語)の崩壊=社会のカオス化を招くと言われ、その分かりやすい例として上げたが、同様な事態=「崩壊」が日本中に蔓延していると日々切々と感じている🙀🍩

 

 

存在と国家

ウクライナ紛争で意外にも悲惨な事になりそうなのは日本である様である、戦争を一つの娯楽、退屈しのぎとした「報い」なのかもしれない、『存在』=『国家』である

日本の脅威とは何かとリアルに考えれば分かる事である、いつまでもカミの国日本から卒業し

 

なければならない時がやって来ているのである、もう「引き篭もっている」余地は無いのであるニーチェ寺山修司みに言えば「カミを捨てよ、セカイへ出でよ!」である

統合失調症と認知虐待

人気絶頂だった漫才師の自虐ネタの自慢話に、浮気をしている最中の自宅ベッドに突然妻が想定外に帰って来たことが有り、その弁解の余地が無い状況にも関わらず「オマエの見ているのはハダカの女では無い、現実では無いそれは幻覚だ!」と言い続けてその場を乗り切ったと自

 

慢していたが、統合失調症者は「家族」に同じ様なことを毎日、日常、長期に行われ、その認知を破壊する「認知虐待」を行われた結果、トラウマになり、「症状」が発生するのである

毒親はなぜ態度を変えないのか?ー毒親(特権階級)の被害者意識

特権階級の人々が何らかの理由で「特権」を失うと失った事を恨み自分達は不当に踏み躙られたと「被害者意識」を抱くと言う、それと同じように「毒親育ちの子ども」=奴隷が自由を勝ち取ると毒親は恨み、妬みそして最後には「被害者意識」を抱く様である、残念ながら御伽噺

 

、例えば『走れメロス』の様なことは現実には(毒親育ちは痛切にそう言うハッピーエンドを望んでいるが)起きないのである、諸行無常である🙀🍩

 

毒親は棄てるべきか?

結論から言おう、捨てるべきである、「毒親は捨てても解決しない」と言う人がいるが、「捨てず」に何らかの解決したとしたら、そもそも「毒親」で無かったに過ぎないので、「毒親」である以上「捨てる」の一択しか無い、「毒親」は捨てなければ必ず「害」をもたらすもので

 

ある、勿論「捨てれば」100%の解決がもたらされる訳では無い、その「毒」が何分の1あるいは何十分の1に薄まるに過ぎないのだが、もし「捨てなければ」100%その「毒」浴びることによって100%の「害」をもたらすのである