存在と国家

ウクライナ紛争で意外にも悲惨な事になりそうなのは日本である様である、戦争を一つの娯楽、退屈しのぎとした「報い」なのかもしれない、『存在』=『国家』である

日本の脅威とは何かとリアルに考えれば分かる事である、いつまでもカミの国日本から卒業し

 

なければならない時がやって来ているのである、もう「引き篭もっている」余地は無いのであるニーチェ寺山修司みに言えば「カミを捨てよ、セカイへ出でよ!」である