日本人の我慢の起源ー聖徳太子から?ーその溜まったマグマはいずこへ...

教育勅語が「我慢」のルーツであると考える人がいる、しかし僕はそんなに「浅く」はないであろうと直感が囁く、江戸時代に求める人もいる、実際に江戸幕府が成立してから100年間毎年、何人か、ワザと「小ウルサイ」人たちを処刑していって「我慢」を百

 

姓などに「叩き込んで・躾て」いったと言う歴史も有る、勿論それが効果が有った事は否めない、しかし今回のコロナパンデミックに於ける「庶民」の「我慢」は想像を超え

 

ていてそれらの説明では説明しきれるものではないと感じている、そこで歴史を遡って行くと聖徳太子の「十七条の憲法」の第一条「和を以て貴しと為す...」に突き当たる、「和が大事」、「和を乱すな!」が全てに優先されると言う「原理」がここに発生

 

したのではないかと思っている、そしてその「理念」から実際の運用に至ったのが中世に於ける」喧嘩両成敗の成立」である、この特異な世界にも例を見ない「法」が日本には成立したのである、

 

『「双方それぞれにどんな非があったかを吟味せずに、同罪として処断する」という乱暴な運用についてであり、「喧嘩においては片方が正しいという事はあり得ず、双方ともに非がある」という理屈は分かりやすく、また双方納得しやすいものであった』(ウイキペディア)

 

この考え方は江戸時代も引き継がれ、どんなに正義が有ろうとも「怒る事はご法度=我慢」と言う日本人のハビトスが形成される事になったのである、そして更にそれは教育勅語に輸入され、今現在「絆キャンペーン」に利用されているのである、

 

 

そしてその圧力鍋の様に押し込められ溜まった「圧力」は《木村花》へ、バス停で佇む《老婆》へと「噴き出す=牙を向ける」のである