イジメと曼荼羅ー毒親は細部に宿りたまうー

イジメは過酷である、しかし実際の虐待・暴力そのもの(もちろんそれも過酷である)より更に『過酷』なのは、そのイジメに何の意味も理由も存在しないことである、ヨブの様に神と悪魔👿の取引と言う理由・物語が在れば耐えられるかも知れない、しかしそんなものは何処にも

 

存在せず、更に悲惨な事は一度イジメられた人間はその後も新たなイジメ手によって執拗にイジメられ続けるのである、それは逃げても逃げても追い掛けられる『悪夢』の中を生きることなのである、そこに救いは無いのだろうか?「ない」とも言えるし「ある」とも言える、

 

「ある」と言えるのはイジメを向かい打ち戦う『プロセスprocess』の中にのみに宿るのである

 

 

あなたの赤ん坊は育って行く貴方は絶望しているかも知れない、しかし貴方の子どもは育ち

貴方を支えるだろう、それは貴方の成果で有り果実なのであるーヘッセの『春の嵐』に捧ぐ