贈与論(2)

「贈与論」の躓きの石となるのが親からの贈与である、何故なのか?例えば太陽の恵みも贈与であると言われる、、何処が違うのだろうか?太陽の恵みは平等であるそれに対して親の贈与は一律ではなく不平等である。虐待する親、漱石のように親の都合で売り買いされる子ども、様々である。アンナ・カレーニナの冒頭の不幸な家族は様々であると同じで「贈与のパターン」を「法則化」出来ないことが物事を複雑化し解決不能にしてしまう。良く耳にする「親に感謝しなさい」と言われても、あらゆる面で「投資」をしてもらった子どもと親から虐待された子どもとでは全く違ったイマージュを与えることであろう、そして「一般化」できなければ過去の経験を積み上げた誰にでも通用する「対処法」を構築するのは困難であり、現状では個々人が独自に「対処法」を作り上げなければならずその成功率は極めて低いそして失敗した人々のおびただしいルサンチマンの山々が築かれることになる。