村上春樹とコロナと人類学

ここ22年間で66万人の自殺者を出している日本にコロナは元寇の様に襲い掛かって来た、そして我々は突如として村上春樹の小説の中に投げ込まれた様な錯覚に陥っている、つい、夜空を見上げて第二の月を求めている自分を発見してしまう、これは「現実」ではない、何かの間違いだとカフカのように叫びたくなるが、そこに鎮座する「現実」はタダ沈黙するだけである、我々は気付き始めているそこに「語り得ぬもの」が存在しそれを「語らなければならない時が来たことを」、勿論「語り得ぬもの」を「一般の言葉」で語り得ないことは、ヴィトゲンシュタインを待たなくても明らかであるが、語り得ぬものを語る方法がないわけではないのである、チョット陳腐かもしれないが、我々がもし「平安時代」に生きていてウイルスに依る「疫病」に直面した時にどうするであろうか?多分「呪い」「物の怪」「穢れ」etc.と言う事しかできないであろう、タダ疫病という現象を「名付けた」だけで何も実質的に「語る事はできない」のである、しかし21世紀の我々は違う、「科学」の力を借りて「特殊な(数学なども含まれる)言葉」を用いて「語る事が可能」なのである、(続く)