自殺についてー克服にむけてー(2)

また芸能界から犠牲者が出てしまった、俳優の窪寺昭さん43歳、日本ではここ22年間毎年30万人が自殺を図り死に至る人が10%、66万人が自殺で亡くなった事になるしかもここに来て若い女性を中心に急上昇しているが政府は何も特別対策を講じる気はないようである、ここでは「克服への」ヒントを探ってみたい。

 

 

日本の有名な昔ばなしの一つに「三年寝太郎」と言うのをご存じだと思う、次のような話しである、

 

「ある貧乏な村に怠け者の男がいた。この男、飯だけは人の倍も食うくせに、あとはごろんと寝てばかり。来る日も来る日も、食っちゃ寝、食っちゃ寝の暮らしだった。おっかさんはほとほと困り果て、村の者は「ありゃ、寝太郎じゃ」と言い合って笑っていた。

ある年のこと、村はひどい干ばつに襲われた。田は干上がり、畑にやる水も不足した。村の者たちは深い井戸を掘ってはみたものの、水は出なかった。「峰の向こうの水が引けたらなあ」と村の者たちは嘆いた。

村がそんなありさまになっても、寝太郎はやっぱり食っちゃ寝、食っちゃ寝の生活を続けていた。とうとう飲む水まで事欠くようになった。ついに長者どんは、村にお触れを出した。「この日照りと干ばつを何とかしてくれるものがおれば、わしの娘を嫁にやろう」

三年がたった頃、寝太郎はむっくりと起き上がった。「おっかあ、すまねえが、飯を一升ばかり炊いてくれねえか」。息子は一升の飯をたいらげると「ちょっくら出かけてくるべ」と言って山に入っていった。村の男たちは寝太郎の後を追いかけた。

寝太郎は山のずっと奥までやってきて、品定めでもするようにあの石、この石に触っては、押したり引いたりしていた。やがて、寝太郎は谷の上にそびえる大岩の前にすくっと立った。そして、渾身の力をこめて大岩を押した。すると、ぐらっぐらっと大岩が傾きはじめ、ついにはどーんと大岩が谷へ向かって落ちていった。転がり出した大岩が、崖を崩し、崩れた崖が雪崩のように谷間を埋めた。すると、せき止められた川の水が岸を超えてあふれ出した。そして、新たな川筋が村へ向かって流れていった。

水はたちまち田をうるおしていった。「おお、水じゃ、水じゃ」「神様の恵みじゃ」「そうでねえ、寝太郎のおかげじゃ」

これ以降、村はどんな日照りになっても水に困ることはなくなった。寝太郎は長者どんの娘を嫁にもらい、おっかさんを大事にしながら、幸せに暮らしたという。」(戸田智弘『座右の寓話』より引用)

 

この昔ばなしは何を言っているのだろうか、努力をせずに人に迷惑をかけながら最後は「メデタシメデタシ幸福に暮らしたとさ」では何とも「不道徳」な話しと見える、しかし不道徳であっても「強く生きること」を訴えている物語であると言う解釈もあるが、僕は次の様に考えている、この3年間の「引き籠り」とは絹を造るカイコが「蛾=成虫

 

 

=大人」になる過程で「蛹=『引き籠り状態』」を繭(人間はこれを横取りして絹を造る)の中で安全に過ごし時期が来たら「成虫=大人」へと「変態」するプロセスなのである、そしてその時間は長ければ長いほど良いと言う人もいる、ある心理学者はそのプロセスを「創造的な退行」と呼ぶ人もいる、その学者によれば天才と言われた人は必ず

 

 

このプロセスを「通過」すると言う、芥川賞作家の吉本ばななは学生時代文字通りに3年間ほとんど寝て暮らし「青年期の危機」をこの生存戦略で乗り越えたと自ら語っている、