カクテル「依存症」のすすめ ー「依存症」=中毒をいかに人生に生かすか?-

僕は人間はみんな「依存症」=中毒であると思っている、例えば「言語依存症」でない人は「存在・人権」を認められるのに困難を覚えるだろう、フランス映画「トリコロール、白の愛」では主人公が裁判所で「フランス語が喋れないと裁判を受ける権利もないのか!」と叫ぶシーンがある、それがまぎれもない現実である、一般的に依存症と言えばアルコ

 

ール中毒、ニコチン中毒、アンフェタミン中毒、カフェイン中毒etc.のネガティブなイメージがある、しかし例えばフランス革命当時のフランスの乳児院では預けられた子どもの90%が死亡したと言われている、食事が与えられなかったわけではない、十分過ぎる程の食事が与えられたにもかかわらず赤ん坊は達は次々と死んでいったと言う、そこ

 

に決定的に欠けていたのは「スキンシップ」つまり「愛着」が欠けていたのである、人間は生まれながらに「愛着」中毒と言って良いのである、もしそれが足りない時、例え生き残れたとしても深刻な障害を残すことは今日「愛着障害」として広く知られている、他にもいくらでも「依存症」=中毒の例は挙げられる、砂糖中毒、チョコレート中

 

毒、ジョギング中毒、ゲーム中毒、宗教中毒、そして「うつ病」ですら「うつと言う状態への」中毒ではないかと思っている(ここはまだ考察する余地があると思っている、)、瞑想も「依存症」=中毒である、ここで大事なことは人間が「依存症」=中毒抜きに生きることは不可能なのだけど、時にアルコール「依存症」=中毒やゲーム「依

 

存症」=中毒のように「深刻な副作用」が生じることがある、それをどうしたら防ぐことができるのか?僕の「工夫」「提案」は複数の、できたらなるべく多くの多種類の「依存症」=中毒を同時・順繰りに「服用」「実践」することにより単数の「依存症」=中毒に晒される時間を減らして「深刻な副作用」を「緩和・回避」する方

法である

 

名付けて「カクテル『依存症』=中毒」である、「依存症」=中毒の「分散化」とも呼べる!