贈与論と「逃げ恥」

良く日本人は目上の人から「逃げるな!」とお説教をされるが本当に「逃げない」事は良いことなのだろうか?僕はそうは思わない。何故なら人間はお互いに必ず何かしら依存しあって生きているものだしそもそもホモサピエンスが他の「哺乳類」を圧倒して食物連鎖ピラミッドの頂点に立っているのもお互いの共同主義的なチームワークで生き延びて来たからである。そして生態学でも明らかにしている様に集団の「長期的安定」にはメンバーの「多様性」が大事なことは明らかで、その多様性を担保するものは個性的な個人が「ブリコラージュ的」に絡みあう事である。しかし「逃げるな!」という日本的定言的命令の暗黙の了解には「ある一定の理想的な規格化された生き方」が存在するのです‼それがハッキリするのが高度成長期であった大昔、日本政府は「期待される人間像」なるものを提示していたのですw「今は昔むかしあるところに……」と言ったところですが、いまだに暗黙には存在するのです。それはケージの中のブロイラーよろしく規格化された人間を作ることが目指されています、そしてここで結論ですが「規格化された人間」=「同じ欲望構造」という事です、そして欲望が同じという事は欲望のベクトルが同じと言う事で、そこではホッブス的状況が生まれるのです、それは「贈与経済」とは真逆のデストピアの世界なのです!